片付け
夕方に帰宅できたので、洗濯をしたり、
テントを干して砂をだいたい払ったりしたけど、
やっぱり砂が残っていて、掃除機をかけたいけど夜だからできない今。
マットの穴も塞いでおきたいし、今週ボチボチ片付けていこう。
あとは、せっかく減らしたのに、すっかり戻ってしまった体重を、どれだけ早く戻せるかだな・・・
3日で増えた体重は3日で戻せたらいいのに。
2次元バーコード搭乗券
今回、行きはJALで帰りはANA。
どちらも2次元バーコードでチェックインしているが、どちらもイケてない。
Androidアプリにバーコードを表示させてるが、タブレットのためバーコードのサイズが大きいらしい。
縮小機能もないし、ネットワークがないと表示されない。
リーダーよりも大きいサイズに表示されたらどうするんだろう?
ネットワークがつながらなかったらどうするんだろう?
画面の中ほどに表示されるため、端末を裏返すとどこにバーコードがあるかわからない。
左上隅に適切なサイズで、オフラインで表示してくれないかな?
JALのときは、搭乗口のチェックの時、ホームページでバーコードを表示させて使ったらNGだった。
セキュリティゲートのチェックと、搭乗口のチェックで、同じ媒体じゃないとダメらしい。
バッテリーがなくなったらどうするんだろう?
作ってる人は、絶対これを使ってないんだろうな。
最終日
荷物の最終パッキングをしていたら、外からすごい雨の音。
窓を開けてみてみたら、やっぱり大雨。
キャリーバッグにごみ袋を被せて、簡易雨タイをしてからチェックアウト。
国際通りまで歩いてみたものの、大荷物と傘とで、店内に入る気になれず。
結局全部素通りして、ゆいレールで空港へ。
もう沖縄の旅が終わる。
沖縄の8月は雨なんだなってことを実感した。
打ち上げ
メンバー全員で、にふぇ~で~びるで飲み会。
釣り上げたタマンのお刺身を、船盛と煮付けで、たくさん頂いた。
美味しかった。
店内にずっと懐メロが流れてて、年齢の話。
皆さん私より10~20歳くらい上だということがわかった。
大人のなかでは私が一番下だったようだ。
皆さん若々しいな。
カヤックをやる人は、パイロット、看護師、SEが多いらしい。
ストレスが多い仕事なのかな?
その中でちゃんと休みをとってやるわけだから、半端な人がいないって。
お金のかけて自然の中に入っていく大人の遊びってことかな。
また近いうちに来たいものだ。
22時半ごろにお開きになり、歩いてゲストハウスまで帰る。
干しておいた水着等々がだいぶ乾いてくれてて嬉しい。
キャリーバッグが異常に重くなってたのは、これで戻るかな。
慶良間周遊キャンプツアー
2泊3日で、漕店の慶良間周遊キャンプツアーに参加。
大城さんの他、家族連れ3人、女性三人組、男性1人×3、と、私。
皆さんリピーターということだ。
1日目。
那覇から渡嘉敷までの船が大揺れ。
かなりの人が船酔いしていたようで、船の中にはうなだれてる人が多数。
私も寝ようと頑張ったけど、揺れがひどくて眠れず、ずっと深呼吸して耐えてた。
そんな揺れだったから想像はついたけど、出航できず。
渡嘉敷島の反対側まで車で移動して、青年の家でそのまま滞在。
潮が大丈夫そうというときに、湾内でウミガメ見学。
シュノーケルでウミガメがいると言われたところを捜索。
周りがみんな見たっていうから、自分の運の無さを感じてた。
でも最後に見ることができて、嬉しかった。
青年の家では子どものキャンプがやってて、我々は倉庫みたいなところに滞在。。
食事は子どものキャンプの一角を間借りする感じ。
雨の中でテントを張るのはイヤだったので、そのまま床に寝る。
マットに穴が開いてるようでしぼんでしまい、コンクリートが痛かった。
夜は雷がすごい光っていて、ちょっと怖かった。
カヤックを漕ぐこともなく、車から下ろすこともなく、1日目が終わる。
2日目。
快晴ではなかったけど、天気は良くなってた。
青年の家を出て、 儀志布島へ向かう。
大城さんとタンデム艇で、初めて来たときと同じだ。
潮も風もよかったので、スイスイ進む。
1時間くらいで儀志布島に到着した。
まずはスイカを頂いた。
シュノーケルは15時くらいが良いということだったので、ダラダラ。
ヤギを捕まえてきたのを見たり(害獣駆除活動の一環らしい。マリオと命名。)、
貝を拾ったり、マンゴーを食べたり、散歩したりして、
あまりに暇になってテントを張った。
マットが役立たずなので、ちゃんと砂地。
シュノーケルは、プカプカ上から見てるだけだけど、魚がいっぱい。
貝が動いたりしてるのを見たりして満足。
潮の流れが速くて、流されるままキャンプサイトに戻った。
食事やハッピーアワーや夕食など、ずっと食べ物があった気がするな。
ヤドカリを戦わせたてるのを見たり、
落ちてる珊瑚でランプシェードを作ってるのを見たり。
だんだん眠くなって、22時頃?就寝。
風がないと蒸すので、テントに風が入るように少し開けてた。
夜3時前、雨の音で目が覚め、慌ててテントを閉めた。
どんどん雨が強くなり、雷がずっと光ってた。
こんなに大雨の中のテントは初めてだが、逃げ場がないので仕方ない。
落ちたらどうなるのか?フレームに触れてなければいいのか?など考えてしまった。
朝になったら止んでてくれないかなーと期待したが、5時頃からまた強くなった。
3日目。
6時くらいに外が明るくなったので、着替えて荷物をまとめる。
全然雨は止まず、朝食はタープの下。
テントを自分の意志で持ってこなくて、タープの下で一晩過ごした人もいて、大変だったらしい。
雨がやむことを期待したけどダメっぽかったので、雨の中でテントをたたむ。
潮が満ちて、カヤックを出せるようになって、出航。
もう帰る日なので、渡嘉敷まで戻る。
行きよりもだいぶ長く感じた。
途中で大雨が降ったり、ヤギを見つけたり。
2時間くらいで元の場所に戻った。
ちょうどウミガメがいるということで、すぐにシュノーケル。
初日に見た亀よりも大きかった。
あとはみんなで片付けをして、シャワーを浴びて、
近くの小さいお店でランチを食べて、フェリー乗り場へ戻る。
今は乗船して、出発待ち。
酔い止め薬を飲んだけど、揺れないといいな。
漕店ツアー開始
泊港とまりんで、常連さんを見つけ、そこから合流できた。
他にもいた女性三人組も前に一緒だった気がするが、覚えてないというので違うかも。
天気予報は曇&雨だけど、今のところ晴れてる。
昨日と同じく、ゲリラ豪雨みたいのが何回かあるパターンかな。
さぁスタート。
美ら海水族館
那覇バスの定期観光バスで、美ら海水族館満喫コース。
美ら海水族館はずっと気になってたけど、電車はないし、車は高いしで諦めてた。
水族館チケット込みで4800円ならいいんじゃん?と直前に予約。
バスは空席が3席だけというほぼ満席状態。
2時間ほど高速を走って、美ら海水族館。
もっと巨大な場所を想像してたけど、水族館自体はそうでもないのね。
沖縄の海の中をじっくり見ることができるのは楽しい。
名前は忘れたけど、1mくらいある巨大なエビには思わず声をあげてしまった。
チンアナゴはニョロニョロみたいで可愛かった。
そして一番長居したのは、ジンベイザメ!
こいつを見るために来たといってもいいくらい、惹きつけられた。
同じ水槽で、2頭のイルカがジャンプしたりしてるのも可愛かった。
この巨大水槽、ホントずっと眺めていられる。
横から見て、上から見て、下から見て、また横から見て、楽しかった。
マナティ館、ウミガメ館を見て、お昼を食べて、最後にイルカのショー。
これもまた、思わず声をあげてしまうくらい、楽しいし、可愛い。
トータル3時間半くらい。
満喫コースだけあって、充分な時間があった。
そのあとは、ナゴパイナップルパーク、森のガラス館。
お土産を買う人には楽しいかもしれない。
けど、私は明日からツアー本番だし、まだお土産は買わず。
いや~、美ら海水族館、よかった!
沖縄へ
飛行機が遅延しまくっているが、天気のせいではなくて、混雑のせいらしい。
天気予報はイマイチなままだったけど、ツアー催行するかな。
なんも連絡が来ないままってことは、やるってことでいいのかな。
明日は、美ら海水族館にバスツアーで行ってくる予定。
その次の日から、ツアーのはず。
まだまだ実感わかないなー。
席替え後
金曜に掃除だの席替えだのして、今日会社に行ったら、席が奪われてた(>_<) フリースペースと間違えられたのか、月曜しか来ないおじさんたちが座ってた。 結局彼らが外出するまで別の席で仕事し、いなくなってからまた席移動。 それに伴ってまた周りの人が変わり、結果的には落ち着く席となった。 よしよし。 仕事で直接関係ある人も背後の近い位置にいるし、前より良いかも。 明日は終業後すぐに空港に行くので、在宅勤務。 そして今週の残りは、夏休み。 今度の月曜こそは席を奪われないことを願う。
そして父になる
6年も育ててきた子どもが、自分の子どもではない。
病院で取り違えられたことが判明し、
子どもを取り替えるか、育ての親のままで過ごすか、悩み苦しむ2つの家族。
非常に考えさせられる話。
正解なんてない。
大企業のエリートで、高級マンションに住むが、父子の時間がほとんどない野々宮家。
もう片方は、やんちゃな3兄妹でワイワイ暮らす街の電気屋さんである斎木家。
対照的な2つの家族で、6歳の男の子が本当の子どもではなかった。
見ていて、どうみても電気屋さんの家のほうが賑やかだし楽しそう。
そりゃ、弟妹とワイワイ過ごしてきた子が、突然一人っ子になったって苦しい。
子どもを交換して暮らしてみる・・・ということをしながらも、子どもは皆、斎木家になつく。
誰が自分の子どもか?なんてことよりも、自分が父親としてどうだったのか?を突きつけられる。
小学校に上がる前に結論を出したほうがよかったんじゃないか?とか、
交換して生活している間もちゃんと学校に行ってたのかな?とか、
いろいろ思うところはあるけど、結論は出ないまま?
子どもが親に似てないからって、妻の浮気を疑っちゃいけないよなーとか、
戦時中は他人の子を育てることだって当たり前だったって話とか、
そういうところも、いちいち痛かったりする。