2006.09.02

山羊の味

モンゴルに行ったというと、何しに行ったの?食事はどうだった?が多い。
何しに行ったかは、前に書いたとおり、乗馬である。
んで、食事はどうだったか、ということだ。

ゲルに宿泊した4日間、ツーリストキャンプのレストランで食事した。
朝食は、紅茶とサンドイッチ。ちょっと意外だった。
昼食は、日によってまちまち。
夕食は、紅茶、ニンジンサラダ、羊肉、ライス、のイメージ。
サラダと肉は、ちょっと塩辛い味付けが多くて、苦手な私はちとつらかった。
 
そのマチマチだった昼食。
レストランで食べたときもあったし、
お弁当(蒸した鶏肉・ごはん・トマト・きゅうり)を持っていったこともあった。

3日目だけは特別で、皆で相談して山羊を食べるかどうか決めた。
食べるといっても、レストランやお弁当じゃない。
その場で山羊を絞めて、解体して、料理して、いただくのだ。

多数決の結果、いただくことになった。
 
みんなが乗馬している間に、
ガイドのおとうちゃんが山羊を買いに行って、連れてきた。

前まではこのおとうちゃんが自らさばいていたらしい。
ガイドのトゥルの指示で、皆で焚き木を集めていたところ
唐突に解体は始まった。

トゥルが山羊の口を押さえ、バギーが腹にナイフを入れる。
その切れ込みから手を差し込み、急所を突いた。
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モンゴルにおける山羊の解体は伝統的なもの。
大地に血を流さないという特徴がある。

山羊の息が止まり、皮を剥がれ、内臓が取り除かれる。
この間、血は腹の中に溜まり、外には流れないのだ。

この作業はバギー・イギー・バトラーの3人を中心に行なわれた。
おとうちゃんは傍で静かに指示を出しながら、別の作業をしていた。
たまに共に作業をするものの、見守る姿勢が強かった。
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そしてこの光景を、皆で見学した。
医学生、医療系の仕事をしている人たちは、解剖を見るように熱心だった。

わたしは、解体する彼らと、見学する彼女たちを見学していた。

親から子へ受け継がれる。

モンゴルの民として、山羊をさばき、料理していく。
この伝統が受け継がれていく姿を、ただ綺麗な姿として見ていられなかった。
うらやましい気持ちも少しはあったけど、それだけじゃなかった。

それは傍らで見学していた医学生の姿があったからだ。
親の職業を継ごうという意志なのかは聞かなかったが、
まっすぐに医者を目指す姿があった。

その道から逃げた私にしてみれば、そちらの姿も強烈だった。

親を継ぐことが必ずしも最上のことではないと思うが、
やはり伝統というものは継ぐことによって形成されてきたわけで
創造的なものよりも、時間の分だけしっかり重みがある。

重みを充分に感じているうちに、山羊は料理されていった。
thmongolia-296.jpg
 
料理された山羊は、じゃがいも、にんじんと共に、大きな塊で皆に配られた。

味は、うまかった。
羊肉ばかりだったので、臭みのない肉を新鮮に感じた。

食べきれないと思ったが、やはり重みを感じながら、一生懸命に噛んだ。
あの山羊がこの肉、そのつながりが直接的だった。
食べるために殺した。だから食べた。

気持ち悪いなんて感情は全くなく、
そして不思議と、神聖で尊いものという意識もあまりなかった。

食べるために殺す、
そして、その肉を喰らって自らのエネルギーとする、
この命のつながりを直接ズシンと感じた。

そんな山羊の味だった。

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2006.09.02, 01:44 / 2006.08: モンゴル, 地球探検隊
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