山羊の味
モンゴルに行ったというと、何しに行ったの?食事はどうだった?が多い。
何しに行ったかは、前に書いたとおり、乗馬である。
んで、食事はどうだったか、ということだ。
ゲルに宿泊した4日間、ツーリストキャンプのレストランで食事した。
朝食は、紅茶とサンドイッチ。ちょっと意外だった。
昼食は、日によってまちまち。
夕食は、紅茶、ニンジンサラダ、羊肉、ライス、のイメージ。
サラダと肉は、ちょっと塩辛い味付けが多くて、苦手な私はちとつらかった。
そのマチマチだった昼食。
レストランで食べたときもあったし、
お弁当(蒸した鶏肉・ごはん・トマト・きゅうり)を持っていったこともあった。
3日目だけは特別で、皆で相談して山羊を食べるかどうか決めた。
食べるといっても、レストランやお弁当じゃない。
その場で山羊を絞めて、解体して、料理して、いただくのだ。
多数決の結果、いただくことになった。
みんなが乗馬している間に、
ガイドのおとうちゃんが山羊を買いに行って、連れてきた。
前まではこのおとうちゃんが自らさばいていたらしい。
ガイドのトゥルの指示で、皆で焚き木を集めていたところ
唐突に解体は始まった。
トゥルが山羊の口を押さえ、バギーが腹にナイフを入れる。
その切れ込みから手を差し込み、急所を突いた。
モンゴルにおける山羊の解体は伝統的なもの。
大地に血を流さないという特徴がある。
山羊の息が止まり、皮を剥がれ、内臓が取り除かれる。
この間、血は腹の中に溜まり、外には流れないのだ。
この作業はバギー・イギー・バトラーの3人を中心に行なわれた。
おとうちゃんは傍で静かに指示を出しながら、別の作業をしていた。
たまに共に作業をするものの、見守る姿勢が強かった。
そしてこの光景を、皆で見学した。
医学生、医療系の仕事をしている人たちは、解剖を見るように熱心だった。
わたしは、解体する彼らと、見学する彼女たちを見学していた。
親から子へ受け継がれる。
モンゴルの民として、山羊をさばき、料理していく。
この伝統が受け継がれていく姿を、ただ綺麗な姿として見ていられなかった。
うらやましい気持ちも少しはあったけど、それだけじゃなかった。
それは傍らで見学していた医学生の姿があったからだ。
親の職業を継ごうという意志なのかは聞かなかったが、
まっすぐに医者を目指す姿があった。
その道から逃げた私にしてみれば、そちらの姿も強烈だった。
親を継ぐことが必ずしも最上のことではないと思うが、
やはり伝統というものは継ぐことによって形成されてきたわけで
創造的なものよりも、時間の分だけしっかり重みがある。
重みを充分に感じているうちに、山羊は料理されていった。
料理された山羊は、じゃがいも、にんじんと共に、大きな塊で皆に配られた。
味は、うまかった。
羊肉ばかりだったので、臭みのない肉を新鮮に感じた。
食べきれないと思ったが、やはり重みを感じながら、一生懸命に噛んだ。
あの山羊がこの肉、そのつながりが直接的だった。
食べるために殺した。だから食べた。
気持ち悪いなんて感情は全くなく、
そして不思議と、神聖で尊いものという意識もあまりなかった。
食べるために殺す、
そして、その肉を喰らって自らのエネルギーとする、
この命のつながりを直接ズシンと感じた。
そんな山羊の味だった。
下北沢
9月1日
ビアガーデン→Free Factory→と流れた飲み会企画が
行き着いた先は、八分目というお店。
ホットペッパーのもつ鍋の文字に惹かれて・・・。
ペルーメンバー4人で、夏の終わりの飲み会である。
急に来れたり、来れなかったり、いろいろだけど、
ちょこちょこ企画が立ち上がってるのでチャンスが多いのはよいことだ。
下北沢って、全然イメージがない。
強いて言えば、PAのときに2tトラックくんが狭い道を通れなくて大変だったと
その昔に何回も聞いたのが印象的なくらい。
モンゴル後で、やっとお腹が治り、お刺身が嬉しい!
もつ鍋、ソフトクリーム、焼酎。
今のところ、モンゴル料理はもういい!って感じなので
居酒屋っぽいのが嬉しかった(笑)
モンゴルの写真をiPodくんに入れていって、ミニスライドショー。
スタッフ、メンバー、ガイドさんの話なんかしてみたり。
ちょっと前に沖縄に行った人の話を聞いて、再来週の参考にしてみたり、
シーカヤックとリバーカヤックの違いについてお話ししてみたり、
まだ計画中のキャンプ企画の話をしてみたり。
そんなんしてたら、23時過ぎてた。
時間が経つのが早かった!
いやー、ホント、遊んでくれる人がいるって幸せっすね。