無意識に,子どもが欲しいと思う.それより前に結婚しろとか,相手を見つけろとか,そういうことを言われれば至極最もなのだけど,そういうのを飛び越えて思うから無意識なのだ.
昔から,自分は子どもを育てるものだと,やはり無意識に思っていた.でもこの無意識な意識をよく見てみると,母性本能とはたぶん違う.母性とか父性とか性別の問題じゃなくて,親性というものがあればそれだと思う.
昔とはいつか,何故そう思うようになっていったのか,だいぶ昔の感覚まで遡らないといけないが,考えてみた.
小さいときはもちろん,子どもというのは仲間と同じだった.目線の高さが合うだけで,同じ種類の人間と思っていたし,少し年上のおにいさん・おねえさんを見ても,やっぱり大人とは別の種類だった.
それがいつからか,同じ種類ではなくなってしまった.目線の高さが合わなくなったからかもしれない.その頃にはもう先ほど書いた親性みたいなものを認識していた.
つまり,小さいときに形成された意識があるということだ.
「自分の子どもには絶対こんなことしない」
そんなことを常日頃ずっと思って過ごした. 自分に子どもができるかどうかなんて考えもせず,親がいて子がいるという関係は自然なものだった.その関係が良好か否かに関わらず,子が存在するためには親が存在する(した)ということは,わかっていた.
そして今は子どもの頃に思っていた 違う種類の人間になってしまった.少なくとも身体は.
心の中では,世に言う「大人」よりも「子ども」のほうが自分に近いと思うことは多々ある.大人の人間より,同世代より,子どもと一緒にいるときにリラックスしていることがある.この感覚は,動物に対しても同じように思う.邪気を感じないという安心感.
どこかでまだ,大人に対する反発がある.自分の子どもには…と思うのと同じように「こういう大人になりたくない」と思うのだ.
自分に子どもはいないけど,接する機会は持ちたい.誰かがお子さんを連れてきたときなど,興味深く観察させてもらってる.他にもたまに,子どもと接するイベントにボランティア参加して,やはり興味深く観察させてもらってる.
そして子どもに接するとき,その無邪気がいつまで続くのか,私と同じ感覚を持つ子はいるのか,少しだけ気になっている.
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